脂嗜好
2014.02.01
「食の堕落」は民族の危機
小泉武夫 東京農業大教授
焼酎ブームとよく言われるが、すでにブームを通り越し、日本人の食生活にすっかり定着したような気がする。「健康に良い」とか、「幻の焼酎がある」といった宣伝や口コミが購買心を煽ったことが人気の背景にあるが、日本人の食生活が脂じみてきたこととも深い関係がある。
醸造酒の日本酒より、蒸留酒で辛い焼酎の方が、肉料理など脂っばい食べ物にはよく合う。一度口にするとやめられない魔性のような「脂文化」の浸透が、日本人の酒の趣向まで変えてしまったのである。
この40年あまりの間に、日本人の食卓は、低たんばく、低脂質、低カロリーの食事から、高たんばく、高脂質、高カロリーの欧米型へと大きく変化した。海藻、根菜、魚、豆、そしてご飯(コメ)の五つを基本とする和食は、ヘルシーなうえ栄養バランスが理想的で、これらの食べ物によって日本人の体と心が養われてきた。しかし、肉など脂っこいものをたくさん食べるようになり、生活習慣病の間題が出てきた。人間はそれぞれ、長い間の食生活で培われた民族としての遺伝子が組み込まれている。日本人の腸が長いのは、質素な食生活をしてきたため、長くないと栄養を吸収できないからである。これだけ短期間に食生活が激変した民族はほかにないのだから、体と心に驚くような現象が出てくるのも当然だろう。私が最も心配しているのは心の問題だ。日本人がキレやすくなったと言われるが、ミネラルの不足と関係があると患う。ミネラルには興奮状態を抑える働きがある。昔は海藻や根菜などから取っていたが、この半世紀の間に摂取量が7分の1に減ったという調査結果もある。
「食の堕落」は、民族の存亡にかかわる極めて重要な問題である。和食が優れた民族食であることを自覚し、食生活の見直しに早急に手をつけるべきである。日本の食文化崩壊の背景には、戦後、工業大国になるのと引き換えに、「食べ物は外国からカネで買えばいい」と考えるようになり、農業や漁業を「生命維持産業」として位置づけてこなかったことがある。
しかし、そうした考えが通用しない時代がやって来た。このところマグロの価格上昇が話題になっているが、米国人も中国人もトロの味を好むようになったからだ。脂っこい魚を求めるのは世界的な嗜好の流れで、銀ダラも奪い合いが始まっている。BSE(牛海綿状脳症)や鳥インフルエンザの影響もあり、世界的に魚の需要が高まっていることも影響している。
食糧の争奪戦と価格への余波は、魚だけでなく、農産物でも起きている。大豆は中国の輸入増で高値が続いている。ガソリン高騰の影響で代替燃料のバイオエタノールが注目を集め、原料のトウモロコシやサトウキビ(砂糖)などの価格まで上昇している有り様だ。食糧の世界的な奪い合いの背景には、これまでの供給国が、「安定供給国」でいられなくなったことも影響している。
中国は経済成長で買う側に回り、米国のハリケ一ンや豪州の干ばつなど、供給国が異常気象に直面するようにもなった。BSEや鳥インフルエンザ、遺伝子組み換えの問題もあるのに、その中で日本がどのように対応して行くのかが全く見えない。自分たちで食べるものをつくらない民族ほど弱い者はいない。今世紀、食糧は国家の力を示す象徴として位置づけられ、戦略兵器のような存在となるだろう。この国にそうした危機感がないことは、国家として危機的な状況にあると言えないか。
日本の食糧生産力を強くしていくには、魅力のある産業として復興させ、「生命維持産業従事者」を増やしていくしかない。その一つとして、若い人たちが現場で食を学ぶことを提唱したい。地元の食べ物や食糧生産の大切さをしっかり教え、田植えや野菜づくり、家畜の世話などを授業に義務づけたり、普通高校の生徒を農業高校で実習させたりするといった、思い切った発想が必要だろう。
◇(こいずみたけお)43年生まれ。専門は醸造学、発酵学、食文化論。 「全国地産地消推進連絡協議会」会長。著書に「食の堕落と日本人」 「食と日本人の知恵」など。2007.1.15 朝日新聞 私の視点